下嶋みちおプロフィール【家業を継ぐまで】


こんにちは。渋谷区議会議員、下嶋みちおです。

私の幼少の頃から、家業を継ぐまでのプロフィールを追加いたしましたので、よろしければご覧ください。


 

子供の頃からスポーツが大好きでした

お茶の製造・卸売り・小売りをするお茶処「南山園」の長男として、1951年5月に生まれ、渋谷区立笹塚小学校、笹塚中学校を卒業しました。
私が子供の頃は、笹塚にはまだ空き地がいっぱいありましたので、よく草野球をして遊んでいました。

しかし、なかなか上手にならずヒットが打てるようになりません。
それには理由がありまして、実は私は生まれつき左目が斜視で右目でしか見ていなかったのです。

小学5年生のときに斜視の手術をしましたが、左目に見るチカラがなくて、小さな野球ボールにバットを当てるのは難しいですね。

そんなこともあり、笹塚中学に入ってからはボールの大きいバスケットボール部に入りました。(^_^)
中学3年のときにはキャプテンを務めたりしました。

今でも右目でしか見ない癖が残っていますので、もし近くにいらっしゃっても私が気がつかずにいましたら、どうか遠慮なくお声がけくださいね。

高校から慶應へ

笹塚中学校を卒業後、慶應義塾高校に進学しました。
「なぜ慶應義塾高校に進学したの?」と尋ねられることがあるのですが、実は大した理由があるわけではないのです。(^^;)

私が小学生・中学生の頃、映画で若大将シリーズが大ヒットしていまして、加山雄三さんが大人気だったのです。
それで加山雄三さんにとても憧れまして、加山雄三さんが通われた慶應義塾高校、慶應義塾大学に進学したいと思ったのです。
単純な子供心の憧れなのです。

慶應義塾高等学校に入学してからは、同じクラスになった友だちに誘われて柔道部に入部しました。
生まれて初めての柔道で、受け身から始め白帯スタートです。

まわりには黒帯の強い同級生がたくさんいましたが、必死に頑張って稽古をしました。
おかげで高校3年の時には、神奈川県の大会でベスト8まで入ることができました。

ここぞ!というときの根性は、きっと高校時代の柔道で身につけることができたのだと思っています。

慶應義塾大学に進学してからは、テニス同好会に入りまして、それがきっかけで妻の明子に出会いました。
加山雄三さんへの憧れから進学した慶應ですが、厳しい柔道に邁進した高校時代、妻の明子に出会う大学時代と想い出の多い学生時代となりました。

 

大林組で会社員を経験

慶應義塾大学を卒業後は、家業は継がずに(株)大林組に就職しました。
二代目にありがちな考えで、「お茶屋にはなりたくない」と思ってしまったのですね。

大学の同級生は、銀行、証券会社、保険会社などに就職していましたが、
私は何か形に残る仕事がしたいと思い、総合建設会社の(株)大林組に就職しました。

最初の配属は、開発事業本部・用地部・用地課という部署で、土地を購入したり、購入した土地を管理する仕事でした。
学生時代に宅地建物取引主任者の資格を取っていたので、このような部署に最初から配属されたのだと思います。

入社後すぐに、自分の今後に大きな影響を与える出来事がありました。
もう40年以上前のことで、今とは背景や状況が違いますから、大林組が今もこのようなことをしたと思わないでくださいね。

地方のお百姓さんのところに行って、土地を購入し代金をお支払いする仕事があったのです。
上司や先輩と一緒に、ハイヤーで乗り付けるのです。
私はもっぱら何千万円という現金を持つ係です。

自分の親父ぐらいの年の運転手さんが、若造の自分にも慇懃な接客をしてくださるですが、とても居心地が悪かったのが、それからずっと忘れられない体験になりました。

こんな若造に、そんな謙遜した態度で腰低く接しないで欲しいと感じました。
どちらが偉いというわけではないし、今どき身分の差などないのですから、もっと普通に接してくれればいいのに、と思いました。

あのときの居心地の悪さ・感覚は、今でも常に意識しているところです。
もし、私が偉そうな態度や物言いをするようなことがありましたら、どうか遠慮なく厳しくお叱りください。

 

家業「南山園」を継ぐことに

会社員を3年ほどした頃、親父が体調を崩してしまい家業「南山園」を継ぐことになりました。

大林組での仕事にも慣れ楽しくなり始めた頃でしたので、退職することには迷いもあり悩みましたが、高度成長期でもあり家業が大変忙しく、父も母も皆が一生懸命に働いているのを毎日見ておりましたので、長男としての責任も感じまして、家業を継ぐことを決意しました。

わたくしどもの店「南山園」は、表から見るとお茶を販売しているだけの店に見られますが、(^^;) 実は、茶葉の栽培からこだわった当店ならではのお茶を製造しているのです。

南山園を創業した親父が、お茶では有名な静岡県掛川市の茶畑の次男なのです。
今でも掛川の茶畑で当店専用の茶葉を栽培し、契約工場で当店のレシピに従って製茶しています。

出来上がった茶葉は、真空状態で笹塚の店に運ばれます。
笹塚の店には、地下に温度管理のできる倉庫がありまして、そこで適切な温度管理のもと茶葉を保管管理しています。

店頭に並んでいるお茶は、地下の倉庫で温度管理・湿度管理されていたものを、その都度、袋詰めしているのです。
スーパーなど量販店でお買い求めになるお茶とは、品質も味もひと味もふた味も違う美味しい日本茶だと自信を持っております。ぜひ一度お召し上がりください。(^_^)

 

家業に邁進、商店街活動をし始める

そんなわけで、家業を継ぐと決めてからは、お茶づくりのイロハを親父や母、番頭さんから学ぶ毎日が続き、その頃から、当店「南山園」が店を構える笹塚の十号通り商店街の販促活動に少しずつ関わるようになりました。

私が笹塚十号通り商店街の販促活動に関わりはじめた頃は、まだ20歳代で若く、幼なじみの店主もたくさんおりましたので、忙しいながらも楽しくワイワイやっておりました。
チェーン店などはほとんどなく、商店街は地元の小さなお店の集まりでした。

春夏秋冬の季節ごとの売り出しセールでは、商店街に加盟するお店がお金を出し合い、一斉に売り出しを催し、一定金額ごとにガラガラ抽選券を発行します。
一等、二等、三等など商品を用意して、お客様には、お買い物をして集めていただいた抽選券で、ガラガラ抽選を楽しんでいただくという趣向です。

販促担当の仲間達とは、「今回は抽選を1万回していただこう!」などと大きな目標を立てて頑張っていたものです。
みなさんも子供の頃には、ガラガラ抽選をした楽しい想い出があるのではないでしょうか。

今でもこのような商店街の販促活動は続いていますが、全国規模のチェーン店が多くなり、チェーン店は商店街活動に参加してくださらないお店が多いので、商店街としての売り出し、ガラガラ抽選会は年々規模が小さくなっており残念に思っているところです。

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